新学年に向けて思うこと。不適応といわれた長男と私のこと。

明日から4月。

新しい学年のはじまりに向けて、子ども達はそれぞれ、小さな胸にドキドキとワクワクをつのらせまくっているように見えます。

入学当初から公立小学校の先生とぶつかっていた長男は、新学年がはじまるたびに

「今度の先生は、どんな先生かな?」

と、目を輝かせていました。

学年がはじまったら、いろいろなことがおこり、彼の希望にあふれた瞳は曇っていきました。

毎年、春になるとその繰り返し。

期待して小学校に通っては、がっかりすることを繰り返して、6年生になる春休みには

「どうせ学校の先生はみんな贔屓する人間なんだ」

すっかりニヒリストになってしまっていました。

6年生の担任の先生は、長男だけでなく、どの子ども達からも好かれる先生でした。

長男も意欲的に通学する日が増えましたが、トラブルから通えない日もありました。

小学校卒業を目前に、このまま、トラブルのある友達と同じ中学校には行きたくない。という言葉が長男の口から出てくるようになりました。

親としては、

「制服どうするの?」

「転校するの?」

「フリースクール探すの?」

「私立中に行くの?」

もう、

はっきりしてよね!!!!!!!

という気持ちで1杯だったわけですが、私たちは子どもの意志を尊重したくて(というとキレイに聞こえますが、どうしてよいのかわからなかったのが正直なところ)いろいろな資料を取り寄せ、ネットで調べまくり、連れて行ったりしました。

そして今のスクールに落ち着いたわけです。

おかげさまで長男のもっとも信頼できる安心できる居場所となったスクールに、この4月からも彼は通います。

小学校のころの、キラキラの瞳が日に日に曇っていく長男のことを思い出すと、子供だけでなく、親も、自分のことをイジメすぎているんじゃないか、そんな気持ちがあふれてきます。

なぜなら、私がそうだったから。

私は、私自身をこれまでずーーーっと、痛めつけてコテンパンになるまで傷つけてきたから。

こんな私、死亡保険くらいしか役にたたないんじゃないか。。。って思ったこともありました。

あのころの私に、言ってあげたい。

死ぬくらいなら、生きろ!

↑身も蓋もないことばですが。。。

死なないために、死んだように生きるなんて、もうやめるの。

オトナが生き生きと、一人の人生を楽しんでいる姿を見せよう。

子ども達に、わざわざ楽しんでいる姿を見せる必要なんてない。

ただ、自分が一人の人間として、生きていること、つまりその時間を楽しむこと。

小さな萌芽を大切に感じること。

藤本先生、講座で知り合った人たちが、広い世界を感じさせてくれた。

私に関わってくれているたくさんの回りの人たちが、私と私の家族を支えて(というか、一緒に?というイメージなのですが)くれていることを思う風の強い今日。

オトナが人生を楽しむ。子どもは楽しむオトナと出会いたい!

今の環境が、自分の楽しみを妨げる環境ならば、自分から行動しよう。

自分自身を変える!なんて、意気込む必要なんてないのですよね。

語りかける。

動いてみる。

移動してみる。

周りの行く手を阻むように見える環境に、語りかける。

「ワタシは、○○がしたい。○○に行きたい。○○になりたい。」

反対されても、非難を浴びても、無視されても、言い続ける。

そうしたら、だんだんわかってきたことがあります。

所謂「こどものワガママ」は、子ども達の自分勝手やしつけの悪さじゃなくて、大人にとって都合の悪い出来事だったということ。

子ども達は「生きるために」日々「こどものワガママ」を自分で飲み込み無かったことにして、どうしようも無いときや何かの弾みにそれが表に出ているということ。

親が人生を楽しみましょう。

4月、新しい学年がはじまります。

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