雑記です。好きなことを続けた叔父の話

老齢に届かない年齢で亡くなった叔父がいます。

父の弟でしたので、実家にいたころはお年玉をもらったり、同い年のいとこと遊んだりと、交流がありました。

実家を出てからは交流がなくなり、いとこの結婚式で会う程度。

私の子供たちを見てもらうこともないまま、星になった叔父の話を書きたくなりました。

アマチュア無線界では有名だったらしい

戦後のアマチュア無線ブーム業界では名のしれた人らしく、掲載されている雑誌を見せてもらった記憶があります。

いつもサングラスをかけていて、おしゃれな人でした。

叔父の家には子供が出入り禁止の部屋があり、隙間から覗き込むと不思議な機械が天井まで、ところ狭しと積み上げられていました。

いとこには当時珍しかったパソコンが買い与えられていて、うらやましかった記憶があります。

「パソコンってカッコイイ!」

と私が思ったのは、幼少期の叔父の家の思い出が、きっかけのひとつだったのかもしれません。

無線を仕事に

気さくな人柄と広い人脈で、いつも忙しそうにしていたイメージがあります。

いとこに会いにいくと、いつも来客がいた気がします。

会社を立ち上げ、無線の機械でギュウギュウのオフィスに、父が手伝いに行っていた時期がありました。

私の家は狭くて小さな弟たちもうるさいので、叔父の事務所に父が行くときは、無理を行って連れて行ってもらったこともありました。

見慣れない機械に囲まれた非日常な空間が結構好きでした。

今になって思うと、バブルの時期に駅から近い事務所を借りて、珍しい機械をそろえる。

けっこう資金をつぎ込んだのだろうと想像します。

叔父は事務所に泊まり込んだり、海外にいったりと、アクティブに生きていました。

【好きを仕事に】を体現しているように見えた

叔父と生活をしたことは無いのでわからないのですが、私の目からみると、好きなことを仕事にしていた、そういうイメージがあります。

時には、まったく違う、お金を稼ぐための仕事もしていたかもしれませんが、根底にはいつも「無線」があったように見えました。

これは、今、私が子供たちに話をしている

「好きなことをつきつめる」

ことに、つながるように思っています。

オタクの血(まとめ)

1960年代から、アマチュア無線にはまっていた叔父は、「元祖オタク」だったと思います。

父は叔父の仕事を手伝うため、しょっちゅう秋葉原のガード下で部品を探していました。

我が家にも、叔父からのお下がりの無線機がたくさんありました。

子供だった私たち兄弟は放置してある端末の電源をいれて、どこかの周波数につなげては、

「いたずらはやめなさい!」

と無線機の先にいる誰かから怒鳴られるという、危険な遊びを繰り返していました。

私がオタク気質なのは、血筋なのかもしれないなぁと、そんなことを思う、五月の穏やかな日曜日。

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